未来の自分をイメージしよう!
成績を上げたい。これまでの延長上にある学習方法・学習内容・学習量では現状を打破できない。やるしかない、自分を変えなければいけない・・・・。そんなこと、わかっちゃいるけど・・できない、続かない、それが人間です。勉強だけでなく、ダイエットや禁煙、英会話ラジオ講座・・・・すべてに言えることです。
人間はそもそも変化を嫌う生き物であり、これは原始の時代から人間に染み付いた生存本能なのです。「変化」を認識した時、「生存確率が下がるリスク」だと判断し、脳が体にブレーキをかけるのです。生物学的には現状維持バイアス(ホメオスタシス)と言います。また、変化に適応するためには多くのエネルギーを要することから自分を変えようとすると心身に大きな負担とストレスを感じ行動を阻害することは脳科学的に証明されています。
どうしたら「自分を変える(今まで以上に勉強する)」ことができるのか、それには3つの方法があります。
1つ目は、やろうとしていること(=勉強)の目的・意義を整理認識し、「それ(=勉強)を行う」ことで自分の未来がどのように変わるかを具体的にイメージすることです。
【勉強の目的・意義】・・・以下は一例です。
・進学先、職業の選択肢が広がる。
・新しい知識や価値観を学ぶことで視野が広がる。
・出会いの幅(スポーツ・音楽・芸術・学問・老若男女・国籍問わず)が広がる。
・問題解決能力・自ら考える力が養われる。
・集中力・忍耐力・困難に立ち向かう力が鍛えられる。
・社会的に信用される。
・生涯年収が増える。
・無意識に人を傷つけることが少なくなる(無知は罪と言います)。
・いつまでも成長できる(人生の幸せは成功ではなく成長である プライスではなくプライスレスである。 by 佐々木塾)。
【勉強することで自分の未来は】・・・なりたい自分を具体的にイメージしよう。
実力テストであと100点プラスできれば志望校に合格できる。ここで頑張ることができれば自分の未来は、
・秋田高校野球部に入り平成15年以来の甲子園に出場、慶応大学野球部に進学し、その後はプロから指名?就職は引く手あまたなので商社に入って海外で仕事するのもいいなぁ 秋田高校か山王中の野球部監督も捨てがたい。
・南高吹奏楽部、南高陸上部、北高バレー部でインターハイ(全国大会)に出場、この経験と仲間たちは人生の宝物 これを自信に自分はなんだってできる。
・秋田高校から指定校推薦で秋田大学医学部へ、秋田で医師として働いている。
・金足農業で農業を学び成績優秀者で大学農学部へ指定校推薦、その後は秋田で農業法人を起業している。
・高校・大学でもコツコツ真面目に勉強し、秋田をもっとよく(楽しく)するため秋田市役所か秋田県庁に入り、その後は政治の世界へ。
・好きな場所(札幌駅にほど近い広大なキャンパスを持つ北海道大学)で好きな学問を究め、たくさんの出会いと経験をしている。
2つ目は最終的なゴールを細分化しスモールゴールを設定することです。例えば定期テストの目標点をスモールゴールとしてその達成を目指し、次のスモールゴールである実力テスト目標点の達成、更には最終的なゴールである「志望校合格」へと繋げていくことです。当塾では毎回の定期テスト・実力テストの目標点を設定していますが、もし定期テスト350点未満であれば更にゴールを細分化し単元テスト・章末テストでも毎回目標点を定める必要があります。
3つ目は行動(勉強)を習慣化することです。習慣化するためには、大きなストレスにならない程度の行動(勉強)を具体的な期間を定め継続することです。習慣化するまでの期間は内容によりますが最低2ヶ月を要すると言われます。当塾では中3生に対しては平日実施するべき最低限のタスクをリスト化し進捗状況を毎回チェックしていますが、これは勉強の習慣化を目的としたものです。
【どうでもよい追記】
中学生に「将来なりたい自分」と言ってもなかなかイメージできないかもしれませんが(と、中3の授業では伝えましたが)、自分が中3の頃はどうだったのかなぁ・・・。
なりたい自分ありました。「(極真空手の道場に通うために)秋田市内の高校に進学し、その後は極真空手本部の内弟子になって世界大会に出場し、日本選手優勝の牙城を絶対に守る」。これ冗談みたいな本当の話です。
当時、「空手バカ一代」という漫画・アニメが流行っていました。極真空手創始者である故・大山倍達館長の半生を描いたものです。単純で影響を受けやすい中学生の自分は極真空手の道場が近くにないので、あろうことか通信教育を3年間続けていました。それもかなり真剣に(通信教育で強くなるんかい?)。当時は熊殺しウィリーウィリアムスなど世界の強豪がひしめき、大山館長は「日本選手が負けたら自分は腹を切る」と日本選手に発破をかけていた時期です。この言葉に感銘を受け、「絶対に秋田市内の高校に入って極真空手の道場に通い、将来は内弟子になって外国人優勝を自分が阻止する」本気で思っていました。当時は子供の数が今より多く、高校は県北・中央・県南の学区制、県南に住んでいた自分が秋田市内の高校に入学するのは越境入学となり禁止されていました(入学・入学後の経緯・顛末は塾長インタビューに記していますが、あまりにアホなエピソードなので「空手」の話は省略(封印?)し、「自由な校風にあこがれて」としていますが)。

